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目全体を覆っていたレンズは、どうやって黒目ほどの大きさになったのか

2026.09.26
目全体を覆っていたレンズは、どうやって黒目ほどの大きさになったのか

1940年代のコンタクトレンズは、今のレンズケースには入らないものでした。

透明な素材が角膜だけでなく白目の広い範囲まで覆い、その下に液体を満たして、ふちを強膜にのせていました。視力は矯正できても、大きくて重いものでした。涙や空気の循環が限られ、長くつけるのは難しかったのです。

ロサンゼルスのレンズ技術者ケビン・トゥーイ(Kevin Tuohy)は、問いを変えました。

白目にのる大きなふちは、本当に必要なのか。視力を矯正する中央の部分だけを残したら、どうなるのか。

プラスチックが可能にした変化

初期のレンズはガラスでできていて、割れやすく重いものでした。1930年代から1940年代にかけて、PMMAという透明なプラスチックが使われるようになりました。ガラスより軽く加工しやすかったものの、デザインは目全体を覆う昔の形のままでした。

トゥーイは1947年ごろに小さなプラスチックレンズを試し、1948年2月28日に特許を出願しました。特許は1950年6月に認められました。

彼のレンズには、強膜にのる広いふちがありませんでした。直径約11.5ミリのレンズが角膜の上にのっていました。今のハードレンズより大きく厚いものでしたが、当時の強膜レンズと比べれば小さく軽いものでした。

同じ数字のレンズでもフィットが違う理由は、ベースカーブと直径が同じなのに、なぜつけ心地が違うのかでまとめました。

小さくなると、涙が動けるようになった

強膜レンズの下の液体はとどまりやすく、角膜がくもって装用時間が限られることがありました。

小さな角膜レンズは、まばたきのたびに少し動きました。その動きは不快感のもとにもなりましたが、レンズの下で涙が入れ替わる通り道にもなりました。

初期の製品は完璧ではありませんでした。厚くて平らで、角膜に傷がつく例もありました。メーカーや検眼医は、カーブ、ふち、厚みを改良し続けました。

一つの発明が現代のレンズを完成させたというより、レンズは目全体を覆わなければならないという長年の思い込みが崩れたことが重要だったのです。

偶然か、発明か

トゥーイが強膜レンズのふちを削っているときに、残った中央部分を試してみたという有名な話があります。研究者たちは、この話は単純すぎるかもしれないと指摘しています。

トゥーイより前にも、小さなプラスチック製の角膜レンズを考え、特許を出願した人たちがいました。デニス・イングランド博士は1945年に似た方向の特許を出願しましたが、認められませんでした。

技術の歴史は、たいてい一人がすべてを突然思いつくことよりも、重なり合う試み、製造の技術、特許、臨床の経験を通じて進みます。

そのため、トゥーイをコンタクトレンズの唯一の発明者と呼ぶより、彼の1948年の設計と特許は小さな角膜レンズが広まるうえで重要な転換点だった、と言うほうが正確です。

そこから今の小さなレンズへ

PMMAは酸素を通しませんでした。その後、ガス透過性のハード素材とやわらかいハイドロゲルが続きました。

素材は変わっても、1948年の問いは残りました。レンズはどこにのるのか。どれだけ動くのか。涙はどう入れ替わるのか。角膜への負担を減らしながら、中央に落ち着くのか。

だからこそ、同じ度数の2枚のレンズでも、直径、カーブ、ふち、素材によってつけ心地が違うことがあります。箱に書かれたいくつかの数字だけでは、フィットのすべてを表せない理由もそこにあります。

1948年に小さくなったレンズは、プラスチックの量を減らした製品ではありませんでした。目とレンズのあいだに、涙が再び動ける余地をつくったデザインだったのです。

小さくなっても、すべての問題が解決したわけではない

小さなレンズは涙の入れ替わりを可能にしましたが、PMMAそのものは相変わらず酸素を通しませんでした。その後の開発は、ハードレンズに酸素透過性を持たせる方向と、水分を含むやわらかい素材を生み出す方向の2つに進みました。

また、レンズは小さければよいというものでもありません。きつすぎれば涙が十分に動かず、ゆるすぎれば中央からずれてしまいます。検査の方法は今でははるかに精密になりましたが、基本の問いは同じです。レンズは中央にあるか、まばたきで適度に動くか、ふちで涙が入れ替わっているか。

最初のレンズがどのように生まれたかは、コンタクトレンズは誰が発明したのかにあります。

参考資料

現在のレンズ選びとフィッティングは、専門家の検査にもとづいて行ってください。